お笑いコンビ「たくろう」のツッコミ担当・きむらバンドさん。M-1グランプリ2025決勝進出をきっかけに、その人柄や経歴にも注目が集まっています。
愛媛県松山市出身のきむらバンドさんは、松山中央高校から松山大学へ進学しましたが、大学を中退しています。その中退理由は意外なもので、彼の学生時代の姿勢や芸人としての原点に深く関係していました。
この記事では、きむらバンドさんの大学中退理由をはじめ、高校・大学時代のエピソード、学歴の全貌、そして地元でスターだった時代について詳しく紹介します。
- きむらバンドさんが松山大学を中退した具体的な理由と背景
- 松山中央高校から松山大学までの学歴と学生時代のエピソード
- 落語研究会で地元スターとなり芸人を志したきっかけ
たくろう・きむらバンドが大学を中退した理由は?
きむらバンドさんは、愛媛県松山市にある松山大学に進学しましたが、最終的には中退という選択をしています。その背景には、若い頃の自由な生き方や、学生時代ならではの迷いや情熱が大きく関係しています。
単位不足で2年生の時点で中退が決定
大学に入学した当初、きむらバンドさんは授業よりも友人との交流を楽しむタイプでした。喫煙所で仲間と集まり、話をしたり遊びに行ったりすることが日常だったといいます。その結果、授業に出席する時間が減り、2年生の時点で単位不足が確定してしまいました。
当時のきむらバンドさんは「勉強よりも面白いことをしていたい」という思いが強く、学業よりも人との関わりや遊びに価値を感じていたようです。大学生活を満喫していたものの、結果的に中退が避けられない状況になってしまったのです。
授業よりも友人との交流やパチスロに夢中だった大学生活
きむらバンドさんは、大学時代の自分を「チャラチャラしていた」と振り返っています。授業よりも喫煙所やパチンコ店に行く時間のほうが長く、講義にはほとんど顔を出さなかったそうです。しかし、その一方で人との交流を通じて“観察力”や“会話力”を磨いていきました。
この頃の経験は、今の彼のツッコミスタイルに大きく影響しているとも言われています。相手の発言を瞬時に理解し、的確に返す力は、大学時代に人間関係を通じて身についたものでしょう。遊びの中にも彼の成長の要素があったのです。
卒業式の日に中退を届け出た異例のエピソード
驚くべきことに、きむらバンドさんは「卒業式の日に退学届を出した」というユニークなエピソードを持っています。2年生のときに中退が決定していたものの、その後も大学に籍を置き続け、落語研究会での活動を続けていました。
廃部寸前だった落語研究会を盛り上げ、地元メディアにも取り上げられるほどの存在に育て上げたことで、彼は松山大学の“地元スター”となっていきました。その充実した日々を終えるため、あえて卒業式の日に退学を届け出たというのです。この行動には、彼らしいユーモアと潔さが感じられます。
きむらバンドが通った松山大学はどんな学校?
松山大学は、愛媛県松山市にある私立大学で、四国地方を代表する総合大学の一つです。地域に根ざした教育と自由な校風で知られ、地元の学生だけでなく県外からの進学者も多い大学です。
松山大学は愛媛を代表する総合大学
松山大学は1923年創立の歴史ある大学で、経済学部、経営学部、人文学部、法学部、薬学部、情報学部などを擁しています。学部によって偏差値は異なりますが、全国的に見ても中堅上位クラスの実績を誇ります。地域貢献や企業連携にも力を入れており、学生が主体的に活動する文化が根付いています。
きむらバンドさんも、自由な雰囲気の中で自分の興味を追求できたことが、人生の大きな転機につながったのかもしれません。
落語研究会への入部が芸人としての原点に
きむらバンドさんは、松山大学で落語研究会に入部しました。最初は軽い興味からでしたが、そこで漫才やコントを体験したことが彼の人生を変えました。舞台で人を笑わせる楽しさを知り、次第にお笑いの世界にのめり込んでいきました。
もともと高校時代からバンド活動をしていたため、人前に立つことには慣れていたそうです。しかし落語や漫才は音楽とは違い、笑いの反応がダイレクトに返ってくるため、より深い魅力を感じたと語っています。
地元メディアにも注目されたローカルスター時代
落語研究会での活躍により、きむらバンドさんは地元テレビや新聞にも取り上げられ、愛媛県内ではちょっとした有名人になりました。大学のサークルが地域メディアで特集を組まれるほど話題になったのは異例のことです。
この時期、サークルの部員は一気に増え、活動費も大幅に上がるなど、彼が大学内で果たした影響は非常に大きかったといえます。大学中退という結果になりましたが、この経験こそが芸人としての基礎を築いた重要な期間でした。
たくろう・きむらバンドの学歴を時系列で整理!
きむらバンドさんの学歴は、地元愛媛県に根ざした一貫した流れがあります。幼少期から高校、大学までの過程を通して、常に「人との関わり」と「笑い」を中心に生きてきました。
小学校から大学までの学歴まとめ
小学校:愛媛県北宇和郡鬼北町の公立小学校(10歳で松山市に転校)
中学校:松山市内の公立中学校
高校:愛媛県立松山中央高等学校
大学:松山大学(中退)
幼少期から明るく社交的で、人を笑わせるのが得意だったきむらバンドさん。転校先の小学校では初日からボケをしてクラスを笑わせたという逸話も残っています。
学歴から見える「笑い」を生きる力
きむらバンドさんは学生時代、常に「笑い」をコミュニケーションの手段として使ってきました。中学時代には、いじられそうな雰囲気を笑いでカバーし、ヤンキーたちとも自然に仲良くなったと語っています。この頃から、笑いは彼にとって“生きる術”だったのです。
学生時代から芽生えていた芸人としての感性
高校時代のバンド活動や大学での落語研究会など、人前に立つ経験を重ねたきむらバンドさん。観客の反応を受けながらパフォーマンスする中で、「どうすれば人が笑うか」「どんなテンポが心地いいか」を自然と学んでいきました。この時期に育まれた感性が、今の漫才スタイルに活かされています。
きむらバンドの高校は松山中央高校!
愛媛県立松山中央高校は、県内でも進学校として知られています。校風は落ち着いており、生徒の自主性を重んじることで有名です。きむらバンドさんはこの環境の中で、自分の個性を存分に発揮していました。
バンド活動に明け暮れた青春時代
高校時代のきむらバンドさんは、バンド「サディスティック・ジョーカー」を結成し、ベースを担当していました。授業が終わると仲間と音楽スタジオに集まり、放課後のほとんどを練習に費やしていたといいます。文化祭では観客を盛り上げ、ステージ上での一体感を味わったことが忘れられない経験になったそうです。
「サディスティック・ジョーカー」でのステージ経験
高校の文化祭では、バンドとして出演し、大歓声を浴びました。人前で注目を集める快感を覚えたこの経験は、後の漫才舞台でも生きています。ライブパフォーマンスで身につけたリズム感や表現力は、ツッコミのテンポにもつながっています。
芸名「きむらバンド」の由来にもつながった高校時代
「きむらバンド」という芸名は、このバンド活動が由来です。当時、仲間たちが彼をそう呼んでおり、芸人になった後もそのまま名乗り続けています。高校時代の仲間との絆が、今も芸名という形で生きているのです。
中学・小学校時代のきむらバンドは「笑い」で生き抜いた
きむらバンドさんの“笑いの原点”は、幼い頃から始まっていました。転校や人間関係の変化が多い環境の中でも、笑いを通して周囲と打ち解けてきました。
笑いでいじめを回避した中学時代のエピソード
中学時代、少し目立つ性格だったきむらバンドさんは、からかわれそうになることもありました。しかし、持ち前のトーク力とユーモアで笑いに変えることで、クラスメートからも愛される存在になっていきました。彼は「笑いは人をつなぐ力」と自然に理解していたのでしょう。
転校初日からウケを取る小学生時代の行動力
10歳のときに松山市へ転校した際、きむらバンドさんは初日からクラスでボケをかまし、笑いを取ったといいます。その瞬間から周囲の空気が変わり、友達が一気に増えました。こうした行動力が、後の芸人としての“第一歩”になったことは間違いありません。
大学中退後、芸人への道を歩み出したきむらバンド
大学を中退した後、きむらバンドさんは地元でフリーターをしながらお笑いの世界を目指す準備を始めました。そして、1年後にNSC大阪校に入学し、本格的に芸人の道を歩み始めます。
1年間のフリーター期間を経てNSC大阪へ入学
中退後は地元の飲食店などで働き、生活費と学費を貯めました。両親は最初こそ心配していたものの、最終的には「やりたいことをやりなさい」と応援してくれたそうです。2014年、きむらバンドさんはNSC大阪校の36期生として入学。ここで多くの仲間と出会い、芸人としての基礎を学びました。
相方・赤木裕さんとの出会いで「たくろう」を結成
NSCでの学びを経て、翌年に赤木裕さんと出会います。赤木さんは37期生で、2人はすぐに意気投合。お互いのセンスを認め合い、2016年にコンビ「たくろう」を結成しました。その後、漫才劇場で実力を磨き、M-1グランプリ2025ではついに決勝進出を果たしました。
コンビ名「たくろう」は木村拓哉×イチローの融合!
「たくろう」というコンビ名は、きむらバンドさんの憧れである木村拓哉さんの“拓”と、赤木さんが尊敬するイチロー選手の“郎”を組み合わせたもの。お互いの理想像を掛け合わせ、原点を忘れないという意味が込められています。
たくろう・きむらバンドの学歴と中退理由まとめ
きむらバンドさんは愛媛県立松山中央高校を卒業後、松山大学に進学。しかし、2年生で単位不足が確定し、最終的には卒業式の日に中退を届け出ました。大学生活では落語研究会の活動に力を入れ、地元では注目される存在になっていました。
高校から大学までの学歴をおさらい
高校:愛媛県立松山中央高等学校
大学:松山大学(中退)
専門:NSC大阪36期生
中退に隠されたポジティブな理由と挑戦の軌跡
大学中退という選択は、一見ネガティブに見えるかもしれませんが、きむらバンドさんにとっては人生を変えるターニングポイントでした。やりたいことを見つけ、勇気を持って行動した結果、今の成功があるのです。
学生時代の経験が今の“理性ツッコミ”を生んだ
大学時代に磨いた人間観察力や空気を読む力が、現在の彼の理性的で温かいツッコミにつながっています。中退という経験すらも、自分を形成する大切な一部になっているのです。
たくろう赤木裕さんの学歴・経歴もチェック!
相方の赤木裕さんは滋賀県出身で、光泉カトリック高校から京都産業大学へ進学しています。学生時代から独特なボケセンスを持ち、たくろう結成後はきむらバンドさんとともに関西のお笑いシーンを牽引しています。
M-1決勝進出コンビ「たくろう」の成長ストーリー
2016年の結成以降、ライブで着実にファンを増やしてきた「たくろう」。M-1グランプリ2025では初の決勝進出を果たし、全国的な注目を集めています。彼らの漫才は、独自のテンポと人間味のある会話が魅力です。
赤木さんの学生時代やボケスタイルのルーツとは?
赤木さんは学生時代からユーモアあふれる性格で、友人を笑わせるのが得意だったそうです。彼の自由な発想と、きむらバンドさんの冷静なツッコミが合わさることで、唯一無二の「たくろう」スタイルが完成しました。
- きむらバンドさんは松山大学を単位不足で中退
- 卒業式の日に退学届を出すというユニークな経歴
- 落語研究会での活動が芸人としての原点に
- 高校時代は松山中央高校でバンド活動に夢中
- 小中学生時代から笑いで人とつながる才能を発揮
- 中退後はNSC大阪へ進学し芸人の道へ
- 相方赤木裕さんと「たくろう」を結成しM-1決勝へ進出
- 学生時代の経験が現在の理性的ツッコミにつながっている


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